おおきバタ子のテクテク日記2

パントマイムが大好きな主婦

大切な人の話

こんにちは。バタ子です。

今日は、
私の過去と、大切な人のことについて書かせてください。
ちょっと長いです💦
ちょっと暗いです💦🙇🙇



私には、マイムの先生が2人います。
一人は、SOUKI の江ノ上先生。
もう一人は、

服部宣子先生です。

私が短大時代、マイムの授業をしてくださっていたのが、服部先生でした。

私は、小学生から高校3年までずっと学芸会や部活での舞台に立つのが大好きで。
バレエもダンスも何もやったことがなく、ただただ、演じるのが大好きな子供でした。

高校3年生の時、将来の進路を考えたら、
「やっぱり、演劇の道に行きたい」
と思い。母が賛成してくれて、
演劇の短大に受験。無事に合格。


短大はとにかく大変だったけど、とにかく刺激を受けまくりで、あっという間に2年が経ち卒業。

卒業後も、お芝居を続けたい想いがありましたが、たくさん色々なことを短大で経験したはずなのに、何一つ自分に強みがないことに、焦りを感じていました。

そして、卒業したら何をしたいか、真剣に考えたら、1つしか思い浮かばなかった。


「服部先生のところで、もっとパントマイムを勉強してみたい!!」


狂言、ミュージカル、ジャズダンス、バレエなど·····授業全部とって、全部最後まで受けてみたけど、パントマイムに、服部先生に、私は心を鷲掴みされていました。


私は、ドキドキしながら服部先生に自分の正直な気持ちを打ち明けて弟子にしてほしいと頼みました。

先生は、
「私は、弟子はとらないのよ。」
とスッパリ。

あっさりと振られ、落ち込むと
「······でも、今、若い人とパントマイムの作品作りをしているのよ。稽古場、来てみる?」


当時は高田馬場に稽古場があったので、よく高田馬場に出掛けていました。


その頃は怖いもの知らずで、礼儀も無知な私。
今思うと、先生には相当生意気で失礼なことばかりしていたように思います。

そして、
実はこの頃はちょっと心が病んでいて。
人のことは結構どうでも良かったし、両親も弟も嫌いで。
自分も、別にいつ死んでもいいや~と思ってて。
(ヤバイですね💦)
心がすさんでいたと思う。
誰かが幸せなのが羨ましくて、いいねと思えなくて、ちょっとイライラしてたりしていました。
吸えないタバコを、1人でこっそり咥えて咳き込んでました。



なんか、表面的に良い人ぶって、人の目ばかり気になって、八方美人。思いやりとか全然なかった気がする。いつも心に穴があいていて、スースーとしているかんじ。
あれ?私はこんな人間だったっけ?昔はこんな風じゃなかった。と、過去ばかりみてたり。


手帳に予定が埋まっていないと不安の波が押し寄せて、だから予定やバイトをとにかく入れて。
だから、いつも忙しなく、自分でスケジュール管理が出来なくて、仕事でも知人との約束にもルーズで遅刻も多かった。


良くないなと思った。
私から離れていく友人知人は、何人もいたと思う。
でも、そうしないと、止まったらいけない気がしていた。
普通とは違う人生を歩んでいたから、周りと同じリズムじゃダメだって。
止まったりゆっくりしてたらダメだって。


どんどんどんどん、自分で自分を、ダメにしていった。どうしたらいいのか分からなくなって心も身体もぐちゃぐちゃだった。


演劇の道。ワクワクしながら、進んでいるはずだったのに、いつの間にか下を向いて、どこを目指していいのか分からず、でもとにかく歩かなきゃ·····という気持ちで。毎日生きるのが苦しかった。


自分のことが大っ嫌いだった。
いつも誰かが羨ましくて、誰かになりたかった。
だから、他者になれる俳優に憧れたんだと思う。
でも、大学で演劇について学んだら、
結局は演じるのは自分で、自分とも向き合わないといけないんだと知って。

高校までは、ちょっと自分は演技が上手いのではないかと勘違いしてて、でも大学に入ったらそんなこと全然なくて。
思い知らされて。
自分には演劇だけだったのに、それだけが救いだったのに。自信がなくなって。


自分には何もない。


でも、服部先生についていったら、
パントマイムが出来るようになったら、
こんな思いをしなくなるのではないか。
あんな風に自由な気持ちで、身体の使い方が出来るようになったら、何か変われるんじゃないか。


正直、最初はすがる思いでパントマイムを始めました。
こんな自分をどうにかしたい気持ちで。
服部先生のことを好きなわけでもなく、
でも、服部先生の自由なマイムが好きで。
もっと知りたいと思っていました。


服部先生は、話をよく聞いてくれました。
聞いてもハッピーになれない、ネガティブで誰も聞きたくないだろうと思って心に秘めて話せなかったこと、
ボソボソと。
何故か服部先生の前では話せました。

不思議なことに、マイムを始めると、自分の環境が変わり、出会いもあり、何より、自分に少しずつ自信が持てるようになってきました。(マイムが上手になったわけでもないのに)
家族も、少しずつ大事に思えるようになった。

何より、自分のことが、少しだけ好きになれた。

で、前向きになってきて、
当時、服部先生のもとで稽古していた人と一緒に保育園にボランティアでマイムやバルーンをやってまわることになり、たまに服部先生にも稽古を見てもらうという日々。幸せだった。

でも、色々ありまして·······
服部先生を怒らせてしまい、悲しい思いをさせてしまい、先生にパントマイムを教わることが出来なくなりました。


私はその後しばらく、ふさぎこんでいました。


そんな中、SOUKI の舞台に関わるチャンスが訪れました。

SOUKI は、服部先生を通じて知っていました。

でも、黒ずくめ集団、サングラスやモヒカンとか刺青とかのイメージで、近付けず·····怖くて遠くからいつも見ていました。
ご縁があって、SOUKI の舞台の受付のお手伝いをしているときに、当時SOUKI 制作のSさんにパントマイムが好きだという話をしたら、体験をすすめてくれ、そのままSOUKI でパントマイムをまた学べることになりました。(Sさんにも感謝しかありません!!)


そうです。そんなこんなで、パントマイムの魅力と人としての礼儀を教えてくださったのは服部先生ですし、

ジャンプしただけで足の小指を脱臼する、変な身体の使い方を徹底的に1から教えて、ヘボい心も身体もバシバシと鍛えてくださったのはSOUKI で、江ノ上先生なのです。(ちょっとやそっとのことでは、ヘコたれなくなりました)

私がパントマイムを好きで好きで仕方がないのは、お二人がいたからで、どちらかがいなかったら、今の私はきっといません。


SOUKI でマイムを勉強することになりました、と服部先生にご報告した時、
懲りずにマイムを始めて、何て言われるのだろうと少し怖かったのですが、
「そう!それは良かったわね!江ノ上くんはマイムを教えるのが上手いから!」
と、とても喜んでくれて心から応援してくれました。


SOUKI の公演にも、頻繁に来てくださいました。
頑張っているわね!と服部先生に言われると、
よーし、もっともっと頑張るぞと思えました。


母校でパントマイムの授業の助手をやらせていただいたこともありました。先生のお手伝いが出来て、物凄く嬉しかったのを覚えています。


私がいつもゴハンたくさん食べて食いしん坊だったので(あれ、今も?)、先生はあまり食べられないのに、美味しい食べ放題のお店や、ゴハンおかわり出来るお店にたくさん連れて行ってくださいました。


ゴハンのあとは、必ずコーヒーを飲みに行って。
その、ゆっくりおしゃべりをする時間が心地よくて、先生がコーヒーを飲んでいる姿が大好きでした。

先生が凛とした姿勢でスタスタと歩く姿も格好良くて好きだった。

時折見せる、悪戯っ子のような表情も、先生の恋の話を聞くのも好きだった。


先生にハグしてもらうと、自分の嫌な部分が全部流れていくような気がしました。

「智美、人には誠実に生きなさい。」

先生に怒られてしまった時の言葉。
この言葉のお陰で、人生で後悔しない選択を出来てきたと思う。
人に素直に感謝が出来るようになったと思う。




服部先生が亡くなって、今年で3年が経ちます。
亡くなった時も、昨年の3回忌の時も、
今だって、生きているような気がしてしまう。
あの、厳しくも優しい声が困ったり迷ったりした時にはいつも聞こえてくるような気がするから。


まだまだ、先生には、生きていて欲しかった。
先生のマイムをもっともっとみていたかった。
今度は、私が先生が喜ぶお店に連れて行って、またコーヒーを一緒に飲みに行きたかった。
一緒にお酒、飲んでみたかった。
まだまだ、たくさん、先生とたわいもないおしゃべりをして、「智美は成長したわね!」ってニコニコしながら褒めてほしかった。


もう叶わないけれど。

また、江ノ上先生のもとでパントマイムを勉強出来るようになったこと。
今年は難しいかもしれないけど···来年ご報告に行けたらいいな。


服部先生。ありがとうございます。
こんな私を受け入れてくださって、叱ってくださって。心から感謝しています。
私は、先生のマイムと同じくらい、先生のことが、大好きです。

どうか、天国から見守っていてください。
先生のように愛と優しさをもって、しっかりとした足取りで生きていきたいと思います。